基本理念

「基本的なインフラ」を創る

政治が果たすべき最低限の役割とは何でしょうか?私は、国民一人一人が、充実した人生を送るにあたっての基本的なインフラを整備することだと思います。

戦後間もなくの間、我が国は、「欧米諸国に追いつき、追い越せ」を合言葉に、経済的に豊かになることが国民共通の目標であり得ました。そして、日本は、先人たちの地道な努力により、奇跡的な経済復興を遂げ、世界第2位(現在は、第3位)の経済大国にまで登りつめました。一方、貧困の問題はおおむね解消され、また、様々な情報が容易に得られる現代の日本においては、価値観が多様化し、経済的にさらに豊かになることだけが国民共通の目標とは言えなくなっていると思います。「何が幸せなのか」、「どういう人生を送りたいのか」は人それぞれです。

そんな我が国において、政治が、国民の幸せを勝手に決めて、幸せを押し付け、または、幸せを保証することはできません。そうではなくて、国民一人一人が、自分が信じる幸せに向かって、充実した人生に向かって、全力で駆け抜けるための基盤を整備することが、政治に最低限求められることだと思います。

では、政治が用意すべき「基本的なインフラ」とは何でしょうか?これについても、百家争鳴あると思いますが、私は、それを議論するにあたって、「自助」「共助」「公助」の基準を可能な限り明確にし、それぞれがどれに当たるのかを今一度確認するという視点が大切だと思います。

まずは、「自助」についてです。社会において、まずは、他人に頼らずに、自分の足で立って生きていくことは、非常に重要なことです。みんなが、何でもかんでも他者に甘え、国に頼っていては、社会が成り立ちません。他者も国もそんなに万能ではありません。また、その人の人生自体も豊かなものにならないと思います。

一方、いつなんどきも全て自分の力でやりなさい、乗り越えなさい、というのでは、社会を形成している意味がありません。せっかく、国家や自治体を形成している以上、社会全体で助け合い、乗り越えるべき場面もあるはずです。これが「公助」の考え方です。例えば、人一人でことに当たるよりも、国全体の力を結集してことに当たるほうが、より効率的で効果的な分野として、外交や安全保障などがあると思います。また、どんな人間も常に強者でいられるわけではありませんし、人生は常に順風というわけでもありません。誰しもが老いを迎え、また、病を患う時も事業に失敗する時もあるでしょう。そんなときに社会全体で助け合い、補い合うためにあるのが社会保障です。ただし、「公助」も行き過ぎれば、みんなの人生が画一的になり、社会全体が活力を失うことになってしまうため、注意が必要です。

そして、もう一つ、「自助」と「公助」の中間にあるのが「共助」の考え方です。自然災害の発生時などに、隣近所や地域で支え合い、また、ボランティア団体が活躍するのがそれに当たると思います。国が前面にしゃしゃり出てくるよりもきめ細かな対応が可能になり、また、国の負担を軽減できるというメリットがあると思います。

以上を踏まえたうえで、私が考える「基本的なインフラ」の整備について申し上げます。

まず、「公助」がふさわしいと考えられる分野については、人が安心して生活できる、また、充実した人生を過ごすために必要不可欠なものであり、持続可能な制度作りを進めていく必要があります。また、場合によっては、単なる維持ではなく、強化・充実させる必要があります。(ただし、その場合でも、国が担当すべき分野なのか、地方の自主性に任せる分野なのか、については議論が必要です。)

一方、「自助」や「共助」がふさわしいと考えられる分野については、公が不当に介入していないかをチェックし、介入しすぎであれば、改善する必要があります。なぜなら、「自助」がふさわしい分野であるにも関わらず、公の関与が大きすぎると、個々人や地域の自由な発想が発揮されず、社会全体が進歩せず、活力を失う結果になりかねないからです。また、チャレンジしたい人たちにとって、フラストレーションがたまるばかりです。

もちろん、全てがすっきり「自助」「共助」「公助」に分けられるほど世の中は単純ではありません。「自助」と「公助」の両面がある場合もあると思います(注)。その場合には、個々人の自由な発想が発揮され、活力が損なわれないような、「公助」のあり方について徹底的に議論し、制度設計を行う必要があります。

注)例えば、農業です。農業は産業の一角であり、民間の自由な発想や創意工夫により、大いに発展していくことが求められる分野です。一方、広大な土地を有するアメリカやオーストラリアと比べれば、効率性を高めるには限界があり、我が国の農業がその分ハンディを負っている面は否めません。農業が、人が生きていくうえで最も重要な「食」を担うと同時に、国土保全の面などからも重要な役割を担っていることを鑑みれば、国民全体で支えるべき分野であると考えられます。

以上の考え方を基本として、「基本的なインフラ」を整備・強化することが、政治が、最低限果たすべき役割と考えます。私は、「基本的なインフラ」を創るために全力で取り組みます。

「チャレンジする人で溢れる社会」を創る

以上のとおり、政治が果たすべき最低限の役割として、「基本的なインフラ」を整備しつつ、さらにその上で、私が目指すべきと考える社会について申し上げます。

私が目指す社会、それは、「チャレンジする人で溢れる社会」です。

スポーツや芸能の分野で夢を追い求めることも挑戦。子育てと仕事の両立を目指すことも、脱サラして起業することも挑戦。定年後、社会のためにボランティアの活動を始めることも挑戦です。そして、挑戦する人を全力で支えるという挑戦もあるでしょう。どんなことでもいい、自分にとって新たなこと、未だ到達できない場所に向かって一歩を踏み出すこと、それらは全て挑戦だと思います。

繰り返し、申し上げます。「挑戦する人で溢れる社会」、「限りなく多くの日本人がそれぞれの夢や目標に向かって挑戦できる社会」、それが、私が作りたい社会です。

理由1:挑戦こそ、国力の源泉

資源も乏しく、国土の面でも決して恵まれているとは言えないこの国が、世界有数の経済大国として繁栄を謳歌できているのは、先人たちが、困難に直面し、苦しみもがきながらも、挑戦し続けてきたからに他なりません。挑戦こそが、我が国の国力の源泉であり、唯一の資源であるといっても過言ではありません。

理由2:挑戦こそ、持続可能な社会への道

また、挑戦者が富を産み出してくれることによって、この国の所得が拡大し、教育やセーフティネットが維持・強化され、また、挑戦者が増えるという好循環を産み出すことができます。ひいては、財政再建への道が開けると同時に、持続可能な社会を形成することにつながります。

理由3:挑戦こそ、人生を豊かにする原動力

そしてまた、個々人の視点から見ても、チャレンジは重要です。苦しくても、成功できるかどうか分からなくても、挑戦する人は輝いているし、挑戦することこそが、一人一人の人生を豊かなものにしてくれると信じます。だからこそ、挑戦者を出る杭として打つのではなく、思い切って伸ばす社会を創っていく必要があります。そのために、私は、規制やセーフティネットなどの社会の仕組みを一つずつ改革することによって、挑戦しやすい環境を創るとともに、挑戦者を称賛する風土を醸成して参ります。また、教育や青少年への福祉のあり方を見直すことによって、挑戦する人材を多く育んで参ります。

「若い力溢れる熊本」を創る

国会議員は、国全体のために仕事をするべきであって、地元の利益を追求すべきではない、という考え方があります。逆に、国会議員は、地域ごとに選ばれる以上、地元に利益をもたらすことを第一に考えるべき、という意見も聞きます。私は、両者とも極端な考え方だと思います。

国会議員である以上、当然、国全体のことを考えて行動することが求められる場面もあります。仮に、国会議員全員が常に地元の利益を追求することばかり優先すれば、それこそ「予算の分捕り合戦」になってしまい、あっという間に国家は破たんします。

他方、地元の利益を追求すべきでない、というのも極端だと思います。

  • 選挙区が、都道府県や地域単位で設定されており(参議院の比例代表を除く)、地域の代表という性格を併せ持つと考えられること、
  • それぞれの地域の代表が、地元の利益や考え方を最大限に主張し合ってこそ、最適な結論を見い出す可能性が高まること、
  • 地方分権をめぐる議論が停滞している現実、

などを十分に踏まえ、バランスの取れた議論や対応が必要だと思います。

私は、国全体の奉仕者として、上記のとおり、「基本的なインフラ」整備や「挑戦する人で溢れる社会」創りに向けて取り組むとともに、熊本のリーダーの一人として、「若い力溢れる熊本」を創るため、全力で取り組んで参ります。

「若い力溢れる熊本」を創るため、当面の大きな課題は、熊本地震からの復旧・復興です。単なる原状回復にとどまるのではなく、10年後20年後を見据えた創造的な復興を目指すべきだと考えます。復興庁参事官補佐として東日本大震災からの復旧・復興に携わった経験を活かし、県民の意見を聞きつつ、各省庁と協議・調整した上で、迅速な対応を図ってまいります。

また、「若い力溢れる熊本」を創るためには、人口維持と地域活性化という従前の課題への対策が不可欠です。これらへの対策として、経済・産業の活性化、住みやすいまちづくりに重点的に取り組み、人口を維持・増大させ、さらに経済・産業を活性化させていくという好循環を産み出してまいります。

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